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3.5 論題とプランの対応を考えよう(発展編:Topicalityについて)

論題とプラン

ディベートでは論題の是非を争います。しかし、論題として与えられる政策を実行するためには、細かな部分を決めなければなりません。それによって、論題を肯定できるような政策は複数存在します。
例えば「日本は消費税を増税すべきである」という論題を考えるとして、この論題を実行する政策としては「消費税を5%から6%に上げる」というものから「消費税を5%から20%に上げる」というものまで、いろいろ考えられます。また、消費税増税をいつから始めるのか、税率上昇はいきなり行うのか段階的に行うのか・・・といったことも含めれば、消費税増税という論題を肯定する政策は無数に存在するといえます。しかし、論題を肯定するためには、そういった全ての方法について議論する必要はなく、論題を肯定する一つの方法について「このように消費税を増税することは望ましいので、この方法で論題を実行しましょう」ということが言えればよいのです。

このような、論題を実行するための具体的な方法を、プランと呼びます。一般的には、肯定側は論題を肯定するためにプランを提示し、そこから生じるメリットを論じます。論題の文言だけでは具体的なアクションが分からないために解決性の説明が難しいことや、効果的なプランを入れることで予想される不利益(デメリット)を防ぐことができるからです。
プランについては第5章で議論の作成方法を説明する際に詳しく見ていきますが、ここで押さえてほしいことは、実際の試合では肯定側の提示したプランの是非を巡って議論が行われるのだということです。

ここで、ディベートの勝敗をどうやって決めるのかという基本に戻ります。ディベートでは、論題の是非を争うのでした。メリットは論題の望ましさを示すためのものであり、デメリットは論題の問題点を指摘するものでした。
ですから、肯定側が提示するプランは、論題を実現するものでなければなりません。消費税増税を争う論題で肯定側が死刑廃止についていくら説得的に論じても、それは論題を肯定する理由にはなりません。肯定側は論題を満たすプランの望ましさを議論することを通じて、論題を肯定するのです。論題を満たすプランを提示しない場合、肯定側は勝つことができません。

論題充当性の議論

以上の考えから、肯定側には論題を肯定する義務があり、肯定側の出すプランは全体として論題を肯定するものでなければならないという結論を導き出すことができます。すなわち、論題を肯定しない肯定側は勝つことができない、ということです。
このような「肯定側が論題を肯定しているか」を問題とする議論を、論題充当性(Topicality)の議論といいます。具体的には、肯定側の提示したプランが論題を支持するものであるかどうかを問題とする議論です。論題充当性について否定側の主張が認められた(肯定側のプランは論題を肯定しない)場合、肯定側は他の議論でいくら勝っていても、論題充当性を理由に負けとされます。

例えば、「日本は消費税を増税すべきである」という論題を考えてみます。2007年現在、日本の消費税は5%ですから、「消費税を4%にする」というプランは論題を満たしたことになりません。このようなプランを出した肯定側に対して否定側は「プランは論題を充当していない」という批判を行うことができます。これは分かりやすい例ですが、少し難しい例として「消費税を8%にするが、生鮮食品・生活用品などは消費税を0%にする」という場合、これは増税と減税が混じっていて、全体として増税になっているのか、そもそも一部減税の時点で増税という論題に反しているのか…といった点が問題となってきます。

また、論題充当性の親戚として、メリットの一部が論題から生じるものではないため論題を肯定する理由にはならない、という議論もあります。例えば、死刑廃止の論題で「死刑を廃止し、それで増える囚人のために刑務所を増設する」というプランを出した上で、刑務所増設による囚人の環境改善をメリットとして主張された場合、このメリットは死刑廃止によるメリットではなく刑務所増設によるメリットであるから、論題を肯定する理由としてのメリットにはならない、というものです。
このように、論題を満たさないプランから生じるメリットを否定する議論を、論題外性(extra-topicality)と呼びます。

以上のように、論題とプランの関係を問題にする議論である「論題充当性」について、もう少し詳しく見ていくことにしましょう。

論題充当性の要件

論題充当性の議論は、肯定側のプランが論題を満たしているか否か、ということを問題にします。従って、この論点については最初に論題の解釈を問題に、その上で肯定側のプランがその解釈に含まれるものであるかを考える必要があります。この説明のために必要とされる要件について、簡単に説明しておきます。
なお、以下の説明では、分かりやすい例として「今日の昼食はカレーを食べに行くべきである」という論題で「○×亭のカレーラーメンを食べに行く」というプランが出されたという場合を想定しています。

第一に、論題の解釈(interpretation)を示す必要があります。「肯定側は論題を支持していない」と主張する前提として、「肯定側が支持すべき『論題』って何?」ということを問題にしなければなりません。論題の解釈については、辞書に記されている定義や実際に論題内の語句が用いられている実例、文脈などによって解釈の妥当さを裏付ける必要があります。
例の論題については「論題の中の『カレー』は、カレーソースがご飯にかかった『カレーライス』を指している」というように説明する必要があります。

第二に、肯定側のプランが論題から逸脱(violation)していることを示す必要があります。論題の解釈で示した範囲内に肯定側のプランが入っていないということを、肯定側プランの解釈を示し、論題の解釈と比べることで明らかにするのです。
例の議論について議論する場合は「カレーラーメンはカレーソースがラーメンにかかったものであり、これはカレー風味のラーメンに過ぎない。よって、カレーを食べに行くという論題を肯定するプランではない」という説明ができます。

第三に、ここまでを補強するものとして、解釈の基準(standard)を示す必要があります。論題の解釈方法はいくつも有り得ます。肯定側も自分たちなりの解釈方法(カレーは単にカレーソースだけを意味する…など)を示してきます。否定側が肯定側の解釈を排除したい場合は、自分たちの解釈の方が妥当であること、肯定側の解釈が妥当でないことを示すため、妥当な解釈の基準を提示し、肯定側の解釈を排除する必要があるのです。
この基準には様々なものがあります。この講座は初心者向けということでそのすべてを挙げることはしませんが、以下に代表的と思われるものを挙げておきます(なぜそれらが重要とされるべきかについての説明はここでは省きます)。

*文章全体で見たときの文法的文脈を考慮すべきである(文法的文脈の基準)
*論題に含まれる全ての語が意味を持つように解釈されるべきである(語の有意性の基準)
*論題の専門分野の解釈が優先されるべきである(専門分野の基準)
*論題の境界を著しく拡張するような定義は排除されるべきである(制限性の基準)
*試合の成立が不可能になるような狭すぎる解釈は排除されるべきである(議論可能性の基準)
*一般人が通常解するような解釈を採るべきである(一般通念の基準)
*論題の作成者が意図した解釈を採るべきである(起草者意思の基準)

例について解釈基準を述べるとすれば「普通の人はカレーと聞けばカレーライスを想像するのであるから、これに反する解釈は採るべきではない」とか「カレー風味のものを全てカレーに含めてしまうと肯定側の出せるプランが多くなりすぎ、否定側にとって不利である」といった議論をすることができるでしょう。
なお、解釈基準に関係して、肯定側は「論題の最も妥当な解釈」を支持しなければならない(比較妥当基準:better definition standard)と考えるか、それとも「合理的な解釈」を支持すればよい(合理性の基準:reasonable definition standard)と考えるかについて、意見が分かれています。前者の場合、肯定側は否定側の出した解釈より望ましいことを示さなければ、論題充当性の議論で負けてしまいます。一方、後者の立場では、否定側の解釈がより妥当だと思われても、肯定側の解釈が合理的であると言えれば、論題を肯定していると考えます。論題の解釈は複数ありうるところですが、合理的な解釈一個について肯定できれば論題を肯定するに足りると思われることから、後者の立場が妥当であると思われますが、ジャッジによっては見解が異なりうるので注意しましょう。

第四に、論題充当性の議論の帰結を述べます。肯定側が論題を肯定していない場合、どのように考えるべきかということです。これについては、一般的には論題充当性を落とした時点で肯定側の負けとなります。その理由は上で説明したとおり、論題を肯定できない肯定側は勝つことができないからです。

コラム 〜論題充当性を満たさないと必ず負けるのか〜
先程、論題充当性を満たさないプランを出した肯定側はそれだけで負けてしまう…というように説明しました。このように、肯定側に論題を肯定する義務を考え、これを満たさない肯定側には投票しないというのが一般的な考え方です。
しかし、ディベートの試合で争われるのは「論題の是非」であるという原則に立ち返ってみると、このように考える必然性は実はないのではないか、というように考えることもできます。ディベートでは「肯定側が論題を肯定しているか否か」ではなく「論題が肯定されるべきか否か」が問題とされるのであって、それは肯定側が論題を主張していない場合でも満たされうる――例えば否定側が論題を肯定する立場に立ったとき――ものです。こう考えると、肯定側が論題を肯定していないということは、実質的に肯定側の勝利が難しくなっているということは意味するでしょうが、それを超えた「敗戦理由」に直結するというのは言いすぎではないかともいえそうです。

このような観点から、論題充当性を特別の投票理由とせず、メリットの議論と同一の次元で考えることも可能だと思われます。これについて詳しくは当サイトの別コーナー・ディベートの争点で私見を述べていますが、この考え方に賛同されるかどうかは別として、論題充当性の議論はあくまで「論題の是非」を争う一手段であり、それと乖離した特殊な議論ではないということは、きちんと押さえておく必要があるでしょう。


なお、論題充当性の議論は、肯定側から積極的に証明しなければならないものではありません。否定側から指摘があった場合、初めて問題とされることがほとんどです。ただし、あまりに論題とかけ離れたプランについては、議論がなされなくても論題充当性の点で肯定側を負けにする立場のジャッジもいますから、論題とプランの対応関係に自信のない場合は、説明を加えておくことが望ましいです。

以上、論題充当性の簡単な説明です。本当はもう少し紹介したいこともあるのですが、とりあえずこのあたりにしておきます(論題充当性の議論の方法については第5章でもう少し説明します)。
次の節では、これまた応用編として、否定側が肯定側のプランに対して対案を提示する方法について紹介します。

3.6 対抗案を考えよう(発展編:Counterplanについて)
4.1 リサーチの目的

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