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3.1 議論の3要素

この節では、ディベートで議論を考えていくにあたっての基本中の基本を説明します。具体的には、議論というものがどのような要素からできているのかということを説明していきます。やや抽象的で分かりにくいかもしれませんが、頑張ってみてください。
ここでの最終目標は、議論の成り立ちを知ることを通じて、ディベートで最も重要な概念であると言っても過言ではない「立証責任」という考え方を理解することです。

この節では、説明の便宜上、難しい部分が最初から出てきてしまっています。そのため、ざっと見て難しそうだと感じた方は、とりあえず下の「議論とは何か」「議論の構造(4):まとめ」と「立証責任」という項目だけを読んでみてください。

議論とは何か

さっそくですが、議論とは何でしょうか。辞書を引くと、「互いに自分の説を述べあい、論じあうこと。意見を戦わせること。また、その内容」とあります。ここで重要なことは「自分の説」を論じるということです。説だというからには、そこには何らかの意味がなければなりませんし、聞いていて納得できる内容でなければなりません。ここで、いくつか例を出してみましょう。あなたは以下の例を「議論」だと思いますか?

A:「お前は馬鹿だ」
B:「今日は雨だから明日は晴れるね」
C:「お腹すいたぁ」

Aの発言は、いきなり何を言い出すんだこいつ…って感じですよね。なぜそうなのか言ってくれなくては、腹が立つだけです(理由をつけられたら余計腹が立つかもしれませんが)。
Bの発言は、それはウソだろうと突っ込みたくなってしまいます。今日が雨だから明日は晴れるというのなら、梅雨の長雨はどうやって説明するのでしょうか。
Cの発言は、それでどうしたの? と尋ねたくなってしまいます。おむすびをほしがっているのか、一緒に食事に行きたいと思っているのか、それとも単なる口癖なのか、聞いている側として何を言いたいのかが分かりません。

以上の例は、全て「議論」ではありません。相手と論じ合う内容としては、第一に「相手に何を伝えたいか」をハッキリさせる必要があります。そして、第二に「どうしてそのように言えるのか」という理由が必要となります。これを踏まえて考えると、議論とは以下のように定義づけられるでしょう。

議論とは、相手にとって納得しうる形で主張を展開しているものである。


議論の構造(1):トゥールミンモデル

議論とは何か、という問いはそれ自体答えるのが難しいものです。しかし、ここでは「議論とは相手にとって納得しうる形で主張を展開しているもの」という理解を基に、そのような議論がどうやってできているのかを考えてみることにします。
さっそく問題となるのは、相手にとって納得できる議論とはどういうものかということです。これについては、きちんとした理由がついているというように答えることができます。相手が納得できる理由があれば、その主張は議論として評価されることになります。それでは、そうした理由をつけるにはどのような説明をする必要があるのでしょうか?

ここで、議論の論理構造を示すモデルとして有名なトゥールミン・モデルを紹介しておきます。ややこしいので、よく分からない部分は豪快に飛ばしてしまって、下の方の項目を先に読んでしまったほうがよいかもしれません(それでも分からない場合は筆者の責任ですので、遠慮なくご連絡ください)。とりあえず下の図をご覧下さい。

このモデルでは、議論の基本的3要素として、議論の結論である「主張」とそれを裏付けるための「データ」、そしてこの二つを結び付ける「根拠」を考えます。図の例でいうなら『A君は寝る前にお菓子を食べることが多い(データ)から虫歯になる(主張)。なぜなら、睡眠前に糖分を取ると虫歯になるからだ(根拠)』といったところです。
しかし、根拠はデータと違ってその存在が自明ではありません。ですから、根拠にはその正しさを示すための「裏付け」が必要とされます。また、根拠によってデータから導かれる結論は、主張を完全に正当化するものとは限りません。例えば、寝る前に糖分を取ると虫歯になるといっても、全ての場合でそうなるわけではありません。ですから、データから主張が導かれる程度を「限定」する必要があります。また、根拠が正しいとしても、それがデータから主張を導く際には当てはまらない場合もあります。例えば、お菓子を食べた後に歯磨きをして糖分を取り去れば、虫歯になることはないでしょう(本当かどうかは分かりませんが)。そこで、根拠が当てはまらない例外を示す「反駁」も考えなければなりません。
これを全てあわせて図の議論を示すと、このようになります。『A君は寝る前にお菓子を食べることが多いから、寝る前にきちんと歯磨きをしない限り、おそらく虫歯になるだろう。なぜなら、歯科学の権威X教授のグループによる実験によれば、睡眠前に糖分を取ると虫歯になるからだ。』

以上が、トゥールミンモデルの考え方です。このように考えることは、議論をきちんと説明する上で役立ちます。しかし、上の図を見ても分かるように、常にこのようにして議論を捉えることは、議論を過度にややこしくしてしまうことになります。
また、上の説明では、データと根拠が別のものだとされていますが、この区別は実際には難しいでしょう(上の例でも、データと根拠を逆にしても話はつながります)。そうなると、根拠に裏付けがつくようにデータにも裏付けがつくでしょうし、データに根拠がつくように根拠にもその根拠がつくということになります(ここでは例は挙げませんが、余裕のある方は自分で考えてみてください)。さらに反駁の要素を考えてみると、このような例外はデータや根拠にも考えることができます。

そうなると、このモデルは必ずしも図のように表されるわけではない…と考えることができそうです。基本的3要素としての主張・データ・根拠と、その他の要素を同列のものとして捉えることは、議論の構造を分かりにくくしてしまっているともいえます。

議論の構造(2):この講座で用いるモデル

そこで、トゥールミンモデルの基本3要素を中心に、その捉え方を若干変えて、以下のように考えることにします。

ここでは、議論の結論である主張とその理由となる根拠(トゥールミンモデルでいう「データ」)、そして根拠と主張をつなぐ「推論」という3つの要素を考えます。データを根拠と言いかえたのは、トゥールミンモデルにおいてデータと根拠は交換可能なものであり、そうであれば根拠と言ってしまう方がニュアンスとして日常の論理思考に即していると思われるからです。
また、ここで新しく出てきた推論という要素は、「Pである。PならばQである。よってQである」といういわゆる三段論法における「PならばQ」の要素です。推論は根拠から主張を導くための過程であり、議論の中で必ずしも明示的に示されるものではありません。

*このように3要素を取り出してトゥールミンモデルを再構成する考え方として「三角ロジック」(三角形の頂点に主張・データ・理由付け[推論]を置いて考えるもの)というものが有名です。基本的な考え方は共通しているのですが、やや疑問のある構成です。3要素の関係は三角形ではなく上述のような直線の関係にありますし、理由付けはそれ自体が要素として主張やデータと並ぶ要素として存在するものではなく、両者の存在に依存するものであるというべきだからです。…という内容は初心者向けという趣旨を逸脱しているので、このくらいで終わりにしておきます。

このモデルとトゥールミンモデルとの違いとしては主に三点を挙げることができます。
第一に、根拠の要素には裏付けを含むことができます。上の図で「A君の母によれば」とある部分が根拠の裏付けにあたります。このように考えるのは、根拠は『どこで誰が収集したか』という裏付けが信用性を担保する上で重要な要素であり、根拠そのものに内在する要素といえるからです。これは、ディベートの中では「証拠資料」という形で出されることになります。
第二に、トゥールミンモデルにおいてデータから主張をつないでいた根拠・限定といった要素は全て「推論」としてまとめられています。一般に議論を判断するに当たって、あるデータが出された場合、そこから聞き手の中で自然に判断される要素というものが存在します。そのような要素を個別に分けて考える必要は無いでしょう。もっとも、データから主張にストレートにつながりができる(スムーズに推論が進む)ことは実際には多くないでしょう。その場合は、データと主張の間を埋めるためのデータを更に要求すると考えることができます。それはもはや、議論をサポートするための新しい議論が要求されていると捉えるのが自然だといえます(議論は単独で存在するだけでなく、いくつもの議論が連なって一つの主張を支えます)。
第三に、反駁の要素は議論の成立に必ずしも必要なものではありませんから、これは別のものとして分けています。もちろん、このような例外的要素はデータや推論の中に隠れています。しかし、それは明らかになっている場合を除いては、議論に反論する側が指摘してはじめて問題とされるべきであり、またそれで十分だということができます。また、反駁をこのように「議論そのもの」ではなく「議論を批判的に検討する要素」として捉えることは、それ自体に議論の深化を促す意義があると考えられます。

以後、この講座では議論についてこのような理解を取って考えることにします。しかし、トゥールミンモデルが示しているように、納得できる理由を示すためには様々な要素を考慮しなければならないということは忘れてはなりません。以上で述べたような簡略化したモデルの理解についても、それぞれの要素で「裏付け」や「根拠」を意識し、また反駁の存在を考えた上で議論を構築していく必要があるのです。

議論の構造(3):複数の議論のつながり

上で説明した議論の構造は、一つの議論についていえることです。しかし、議論というものはそれ単独で終わるのではなく、いくつかの議論が組み合わさってより大きな議論を作ることもあります。
その場合でも、基本的な構造としては上のモデルと変わりません。議論全体で言いたい主張は一つで、それに対していくつかの根拠がくっついているという形です。例として、以下の図を見てください。

この議論では、「B君は明日の英語のテストでいい成績をとる」という主張を支えるものとして、大きく分けて2つの根拠が出されています。主張を支える根拠は1つに限られていませんから、このように複数の根拠を出すことが許されます。
ここで注目してほしいのは、上の根拠(A1,A2)が2つの根拠が連なって主張を支えていることです。このように、一つの根拠にはさらにそれを裏付ける根拠がつくことがあり、このように「根拠の根拠」や「根拠の根拠の根拠」…と考えていくと、いくらでも理由付けを深めることができます。一般に、理由付けが深ければ深いほど、その根拠は強くなり、説得力のある議論になります。

こうした根拠のつながりは、議論のつながりとして見ることもできます。根拠A2はそれ自体主張としても成立します(その場合の根拠と推論は図の左にあります)。根拠A1と主張としての根拠A2でできた1個の議論が、大きな根拠として主張を支えているということです。逆に言えば、上のモデルでいう根拠とは、それ自体が議論であるともいえます。このように、一つの議論が他の議論と合体することで、最終的に主張したいことを支える根拠を作ることができるのです。
このような見方は、推論の要素にも当てはまります。例えば、根拠Bから主張を導く推論である「勉強すればテストでよい成績が取れる」ということは、それ自体でもそれなりにスムーズに納得できますが、その理由を突っ込むことも可能です。その場合、この推論は「勉強すればテストでよい成績が取れる(主張)。なぜなら、テストの問題は事前に予想できるため、勉強しておけば同じ問題が出るからである(根拠)」という議論としてみることができます。

以上のように、全ての要素はそれ自体議論として見ることができます。一つの議論は、複数の議論によってできているのです。
そのような議論の構造を考える上で重要なことは、とにかく「主張がそのように言える理由は何か」ということです。理由というのは、突き詰めていけばどんどん深まっていくものです。それを「根拠」という形で表現したのが、上で紹介したモデルです。ある議論の「主張」は、他の議論を支える「根拠」にもなります。大切なことは、その議論が結論として何を言いたいのかということ、そのためにどのような議論(根拠・推論)が使われているのかということをチェックし、説明不足の点はないか見ていくということです。

議論の構造(4):まとめ

以上の内容をまとめると、議論は主張・根拠・推論の3つからできていることになります。主張とは、その議論で言いたいことです。根拠とは、なぜ主張のように言えるのかという理由です。そして、その理由を主張に結びつけるのが推論の部分です。推論の部分は要素というよりは主張と根拠の関係(出された根拠が主張と関係あるのか)ということをチェックする役割で、聞き手の方で補充して考える要素ということができます。

例えば、「A君は空手三段なのでけんかに強い」という発言を議論として評価すると、「A君はけんかに強い」というのがこの発言で言いたいこと(主張)であり、その理由(根拠)が「A君は空手三段である」ということになります。この場合は「空手三段といえば強い」というように聞き手が判断できる(推論)ので、議論として一応成り立っているといえるでしょう。
これに対して、「A君は将棋三段なのでけんかに強い」というのは、将棋三段からけんかの強さを導くことは難しいので、推論に無理があるということで、要素を欠くために議論は不成立だということになります。また、「A君はけんかに強い」というのは根拠がないので、これもやはり要素を欠く議論として否定されてしまいます(もっとも、誰もが知っている事実については根拠がなくても一応信用されます。例えば「日本の首都は東京である」というのは否定できない事実であり、根拠を求める必要はありません)。

とにかく大切なことは、主張には必ず根拠が伴わなければならないということです。そして、その根拠は主張と関係のあるものでなければ意味がありません(適切に推論できない)。

立証責任

ここまでの内容から、ディベートで行われる議論では根拠の有無が重要であるということが分かってきたと思います。ディベートは議論の中身を競う競技なので、その中身にきちんとした説得力がなければ評価されません。ですから、全ての主張にはきちんとした根拠が求められるのです。いいかえれば、主張を評価してほしい場合は、その正しさについてきちんと証明しなければならないのです。
*もっとも、ここでいう「証明」とは、数学でいうそれとは異なります。数学的証明は100%の真を示すものですが、裁判での有罪・無罪の判断を見ても分かるように、社会的判断については100%の正しさは必ずしも必要ありませんし、またそのような正しさを求めることはできません(いくら犯人が「俺がやった」と言っても、その人が事件を起こした瞬間に戻って確かめることはできませんよね)。ですから、ここでいう「証明」とは、一応確からしいと思われる程度に説明することだと考えてください。どの程度説明できれば「一応確からしい」ことになるかどうかは、主張の性質や主張者の立場などによって異なってきます。

以上のような、主張を証明しなければならないという決まりを、「ディベーターには『立証責任』がある」といいます。特に、自分側から主張を持ち出すときには、その主張についてきちんと立証しなければなりません。
逆に、その主張を否定したい側は、相手がきちんと議論を証明していない(根拠がない)ことを指摘することで、立証責任の点を攻撃して議論を否定することができます。しかし、相手が一旦立証責任を果たすような根拠を挙げてきた場合は、それを否定するためには、否定する理由となるような主張を出すことについて立証責任を果たす必要が出てきます。

ディベートで議論を出す際には、立証責任という考え方は非常に重要です。自分や相手が立証責任を果たしているか、すなわち「きちんとした証明をしているか」という意識を持つことで、どの議論が信用できてどの議論は説明不足なのかということが分かるようになります。それを意識するためには、議論には主張と根拠(そしてそれらをつなぐ推論)があるということをしっかり理解しておく必要があります。



議論の成り立ちや立証責任について理解できたでしょうか。次の節では、こうした「議論」を組み合わせて、論題について自分の立場が正しいことを説明するための考え方について説明していきます。

3.2 メリット・デメリットの考え方

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