初心者のディベーターを救う団・公式ホームページ

3.2 メリット・デメリットの考え方

意思決定とは何か

私たちは、普段からいろいろな選択に迫られています。今日はどの服を着ていこうか、昼ごはんには何を食べればよいか、日曜日はどこに遊びに行こうか…。このような選択について、私たちは時に何となくの気分で、時に悩みぬいて、答えを出します。このように、複数の選択肢から自分にとって望ましい答えを求めようとすることを、意思決定と呼びます。
ディベートにおいても、与えられた論題を肯定すべきか、それとも否定すべきかという2つの選択肢の間で意思決定を迫られます。このとき、議論を判断するジャッジは選手のスピーチ内容を材料にして意思決定を行い、勝っていると思ったほうに投票するという形で答えを出します。

ここでは、私たちが普段が意思決定を行うときの考え方について、少し見ていくことにします。それを通じて、ディベートで何を主張する必要があるのか、何を証明すれば試合で勝つことができるのかということを考えていきましょう。

意思決定の方法

意思決定というと難しそうに思われますが、これは私たちが普段から行っていることです。例えば、今日の昼食に何を食べるか、ということだって一つの意思決定です。以下、これを例にして考えてみましょう。

昼食に何を食べるかというのは、実際のところ(食べないという選択もあわせて)たくさん候補がありうるのですが、ここではラーメンかカレーか、ということで考えてみます。候補に挙がった選択肢からどれを選ぶかというのが、意思決定です。

ラーメンとカレーどちらがいいか…と考えるときの基準は「どちらが望ましいか」ということです。しかし、この「望ましさ」を測る基準にもたくさんあります。お腹が空いている人にとっては量が基準になるでしょうし、ダイエット中の人はカロリーが気になるところです。味にこだわる人はおいしさ(この判断基準も人によって違う)を求めますし、お金に余裕のない人は値段が気になります。時間のない人は店の近さや出てくる早さが問題になってきます。もちろん、こうした基準はひとつだけ選ばなければならないものではありません。むしろ、同時にいくつかの基準を考えるということが普通です。その中には特に優先される基準があったり、できれば満たしてほしいけど最悪我慢できるような基準もあるでしょう。
また、以上のような基準は「〜の方がいい」というような比較の基準になる場合と、「〜でない場合は嫌だ」という排除の基準になる場合があります。例えば、ニンジンが嫌いな人は「ニンジン入りのカレーはダメ」という判断を下すことになるでしょう。
ここから分かることは、意思決定においては何らかの基準が設けられなければならないということです。その基準は判断者の性格や置かれた立場、条件などによって異なります(ですから常に一定とは限りません)が、何らかの理由付けによって定めることのできるものです。

ラーメンとカレーを選ぶ場合は、以上のような判断基準をもとに考えることになります。具体的には、ラーメンやカレーを食べる場合をそれぞれ想像し、その値段や味、見た目などを考えて「こっちにしよう」と選択します。実際の場合は「何となく」で決めることもあるでしょうが、そのような場合も、無意識にそれぞれを比べているはずです。
ここで大切なことは、意思決定のためにはそれぞれの選択肢をとった場合のことを考え、どのようになるかを予測する必要があるということです。

以上は自分ひとりで昼食を選ぶ場合ですが、もしかしたら友達と一緒に行き先を決める場合があるかもしれません。その場合は、各自が食べたいものを主張して、話し合った結果昼食を選ぶことになります。このとき、意見が違う人がいる場合はどうすればよいでしょうか。以上見てきたことからすると、意見が違う理由としては、そもそも判断基準が違う(A君はリッチなので値段を気にせずおいしいラーメン屋に行きたいが、B君は金欠なので安いカレーショップにしてほしい…など)か、それぞれの選択肢についての判断が異なる(A君は近所にある○×ラーメンの常連で気に入っているが、B君は行ったことがないので分からない…など)ということが考えられます。この場合、意見の異なる人同士でそれぞれの理由を説明した上で、どちらがいいか再び考えることになります。それでも意見が分かれる場合は、多数決で決めるか、別々に食べに行くしかありません。

ここでディベートに戻ると、ディベートで「論題を肯定するか否定するか」という点についても、同じような作業がおこなわれます。肯定側と否定側は、ラーメンかカレーかで対立している状況と同じです。論題を肯定するべきか否定するべきか(どちらを食べるか)を選ぶのは、中立なジャッジです(中立であるという点は昼食の例と異なります)。
ただし、ディベートにおいて重要となるのは、「論題を採るか採らないか」ということであり、それを考える議論としては「論題を採ることの利点」と「論題を採ることの問題点」を論じることが効率的です。すなわち、肯定側は「論題を採るとこんなにいいことが起こる」ということを主張し、否定側は「論題を採るとこんなに悪いことが起こる」ということを主張します。もちろん、両者の目的はジャッジの説得ですから、ジャッジが納得するような判断基準を示した上で、自分たちの主張した点の方を考えるべきだと論じなければなりません。このような議論の末、最終的にはジャッジが判断基準に基づいて両者の挙げた理由を比べ、意思決定を行います。

コラム 〜否定側はどんな立場に立つの?〜
上では「ラーメンとカレー」の例で説明しましたが、実際のディベートでは「論題を採るか採らないか」ということが争われます。この場合、例えば「死刑を廃止すべきである」という論題の場合、肯定側は「死刑を廃止しよう」という立場に立つ一方、否定側は「死刑を廃止しない」という立場に立つことになります。これは、ラーメンとカレーの例で言えば「ラーメンを食べるか食べないか」というような議論です。
このように考えると、否定側はいったいどのような立場に立つのか…という疑問が出てきます。論題を支持しない立場というのは、単に肯定側の提案に反対するだけなのか、というように思われてしまいます。

ディベートでは、この場合否定側は「論題を採用しないという現状の維持」という立場を支持することになります(これは「今のまま世界が変わらない」という意味ではなく、「今後も『論題』は導入しない」というだけのことですから注意)。すなわち、肯定側が論題を採択した政策システムを支持するのに対して、否定側は論題を採択しない政策システムを支持するということです。これは、ラーメンとカレーの例で言えば「ラーメンかそれ以外の食べ物か」ということになります。

では、否定側は論題を支持しないのであればどんな政策を支持してもよいのか…という疑問が生じてきます。結論からすると、その通りです。否定側は、論題を肯定しない限り、どのような政策を提案することも可能です。
ただし、ディベートではあくまでも論題の是非を問うのですから、論題を否定する理由になるような政策を提案する必要があります。例えば、死刑廃止の論題で否定側が「消費税を減税する」という立場(論題は肯定していません)を採ったとしても、それは死刑廃止を否定する理由にはなりません。このあたりについては、カウンタープランについての説明(3.6)で詳しく解説します。

もっとも、中高生の取り組むディベート甲子園においては、否定側が独自に政策を提示すること(カウンタープラン)は禁止されています。この場合、否定側は論題を採用しない現状の枠組を維持するという立場に立って議論を進めることになります。ここでは、現状のままの世界と論題を採用した世界のいずれが望ましいかを議論していくことになります。


メリットとデメリット

以上のような議論を行うため、ディベートでは肯定側と否定側がそれぞれ「論題を採ることの利点」と「論題を採ることの問題点」を主張します。これをそれぞれメリット・デメリットと呼びます。

肯定側は、論題を採用することのメリットを主張することで、ジャッジを説得しようとします。一方、否定側は、論題を採用することのデメリットを主張して対抗します。論題の是非は、このメリットとデメリットを比べ、どちらが大きいか=論題を採用すると全体としてよいことが起こるか悪いことが起こるかの判断によって決められます。つまり、ディベートの勝敗は、メリットとデメリットの大きさ比べによって決まるということです(これは実質的には論題を採った政策システムと論題を採らない政策システムの比較です)。

ということで、ディベートの試合ではメリットとデメリットが争点となり、ディベートで論題を肯定/否定する理由を主張するということは、メリット/デメリットを説明するということを意味するのです。

コラム 〜メリット=デメリットの場合〜
ディベートではメリットとデメリットの大きさを比べて大きい方が勝つ、ということでしたが、それではメリットもデメリットも同じ大きさである…という場合はどのように考えればよいのでしょうか。実際にメリット=デメリットになるということはほとんどなく、ジャッジは両者の違いを考えて判断を下すことになるのですが、極端な例として両者とも何のメリット・デメリットも主張しなかった場合などを考えると、メリットとデメリットが等しくなるという事態もありうるところです。

このような場合に勝敗を決めるルールを「推定」といいます。メリットとデメリットが等しい場合は、〜の方が大きいと推定する(そのように考える)…ということです。一般的には、肯定側には論題の望ましさを立証する責任があるとか、論題を実行するコストが存在するといった理由から、否定側に推定が置かれる(等しい場合は否定側に投票する)というように言われます。中高生向けであるディベート甲子園のルールには、否定側に推定が置かれることが定められています。

しかし、肯定側にだけ論題の望ましさを立証する責任があるというのは不公平(否定側だって「論題の不合理性」を立証する責任があるといえないのはなぜか?)だといえますし、論題の中には「行われる予定の政策をやめる」というように、否定側(予定された政策をこれから実施する)の方がコストがかかるような場合もあります。こう考えると、一律に「等しい場合は否定側に」といった推定を定めるのは無理があり、場合によって推定を変化させるべきではないか…というようにも考えられます。
この問題は簡単ではありませんのでここでは説明しませんが、皆さんでいろいろと考えてみてください。ただ一つ言えることは、ディベートにおいては推定をどちらに置くかという基準についても議論の対象になるということです。


次の節からはメリットとデメリットの構造について説明していきます。

3.3 メリットを考えるための3つの要件

Contents of This site


Copyright© 2007
SDS団&愚留米 All Rights Reserved.
Powered by sozai.wdcro
inserted by FC2 system